ここ最近、「ホグワーツ・レガシー」が発売されたり、Netflixでハリー・ポッターシリーズが全編見れるようになったりと、J・K・ローリングが作成した魔法世界について目にするようになりました。
自分は「ホグワーツ・レガシー」については購入してはいませんが、映画はつい先日全部みたばかりで、その世界観に魅了された余韻に浸っている所であります。
しかし、そんなことを素直に喜べないのかもなあと先日この記事を読んでから考えが少し変わりました。
クィアを自称している筆者がJ・K・ローリングのトランスフォビアな発言に対して、魔法ワールドを子供の時のように純粋に楽しめなくなってしまったことの悲しさを語っています。
もちろん、子供と大人とでは考え方や価値観が変わっていくのは当たり前の話です。
そこまで絶望するほどなのかっていうのは考えないといけません。
しかし、J・K・ローリングがそういう考え方を持っていることを公にするということは、少なからず作品に作成するスタッフやストーリーに影響が出ていることは認めざるを得ないと言えます。
個人的な見解としては、監督が誰とか俳優が誰とかそういう話は映画や作成物について影響が出ることはナンセンスだと感じています。
その世界観や感じるものがそこから得られるものがあれば十分だと思っています。
しかし、それは少し前までの自分の考え方なのかもと思う自分がいます。
幼くて少し青臭い考え方に見えるような気もしています。大人になってくるとそれだけではなく、社会としてどういう受け止め方をするのか・されるのかということが考えたくないことだとしても考えてしまうのです。
彼女の発言自体はトランスジェンダーに対するものですが性的マイノリティの一部の自分としては、心にひっかかるものが多少なりともあります。
こういう考え方があることを知ってしまった時点で、彼女の作品を素直な目で見れなくなってしまったのです。
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