ただの自己満足。
カミングアウトすることの賞賛
カミングアウトのメリットなんて大したものはないよっていう話をしたいです。
セクシャルマイノリティというと、すーぐ話題になるのがカミングアウト。
マイノリティ(少数)なわけなので、それを表明することが一大イベントになるのです。
- 誰にするのか?
- どこでするのか?
- どこまでするのか?
普段、必死に隠していることを告白したいので、本人してみても一大決心です。
悩んで悩んで悩んだ末にカミングアウト。
世間もカミングアウトした本人にたいして最近では友好的というか
「よくぞ言ってくれました!なんと勇気があるお方なのでしょうか!LGBTQばんざーい!!」
みたいな。
流石に少し言いすぎですが
わりと賞賛として受け入れられることが多くなっているように感じます。
もちろん、セクシャルマイノリティが受け入れられることはとても素晴らしいです。
少数派が生きやすくなるのは豊かな社会といえるかもしれません。
社会に受け入れられているという感覚は生きていくうえで欠かせないと思います。
しかし、カミングアウトなんて、そこまで大したもんじゃないよっていう話をしたいです。
個人的体験を多分に含んでいますので、一般論ではありません。
あくまでも自分の観測範囲内での出来事ですので。
ですが、カミングアウトは結局ただの自己満足に近いのかなというのが僕の結論です。
見られるのは純粋な自分
まず、個人的なカミングアウト範囲を述べておきます。
- 家族(若干信じてないところがある)
- 職場
- 友達(今では疎遠気味ですが)
いずれにも言えるのですが、どのカミングアウトも能動的ではありません。
なんらかのイベントにより発覚したり、問いかけによって答えたりと
自分から発信しようと思ったことは友達ぐらいでしょうか。
なので、勇気を振り絞った経験があるのは友達ぐらいでした。
ここで、カミングアウトで得た知見を1つ述べておきます。
「カミングアウトしたところで、見られるのはあなたの人間性だけ」
ってことです。
なんや、当たり前のことをっていう話ですが。
自分がカミングアウトを最初にしたころを思い出すと、カミングアウトにより今までの関係性であったり
なにかが劇的に変わるのだと思い込んでいた節があります。
本当の自分をさらけ出すことによる、率直さ、誠実さ、そういうものが発生するものだと。
しかし、そんなものは大した意味はありませんでした。
当たり前の話です。
私たちが持っている関係性は、ただ純粋に自分と相手の性格や相性でしか決まってないのですから。
そこに、個人の性的指向がどうのとか、どういう性別が好きとか、どーでもいいのです。
カミングアウトすることにより、あなたの意外な一面を知った。
という驚きは最初はあるかもしれません。
しかし、それはただ秘密を知った程度の話で、そこからの関係はただあなたが今までどんな人間だったのかしか重要ではありません。
もし、仮にカミングアウトした時に、他人の態度があからさまに変わるようなことがある場合
それは、相手の問題もありますが、単に自分の人間性がその人と合ってないというだけの話になります。
なので、カミングアウトというイベントに対して、なにかが劇的に変わる。
というのは大きな間違いです。
もし、それで何かがうまくいかない場合、それはカミングアウトによるのではなく、もともとうまくいかない要因が別にあると考えられます。
カミングアウトすることのデメリット
唯一失敗したなーと思っているカミングアウトは職場です。
会社の場合、カミングアウトの範囲というのが自分のよく知らない人にまでいきわたる可能性が非常に高いです。
少し顔を知ってる程度とか、あまり親しくなりたくない人とか。
そういう人に自分のマイノリティな部分を知られると、直接的じゃないにしろわりとめんどくさいことがありました。
良くあるのは、下ネタ。
男性の上司にお尻を撫でられたり、同性とのセックスについて聞かれたり。
相手との関係性によって受け止め方が違うのですが
あまり絡みたくない人からそういうことをやられると、かなり不快な気分になります。
時々、言われたのは
「男同士とか気持ちわりー」
相手をかばうつもりではありませんが、これは冗談として言っていたのは分かります。
しかし、職場の関係性が微妙な人から言われると、は?という気持ちが抑えきれません。
なぜテメーからそんなことを言われないといけないのか?
職場という範囲をコントロールできないところにすると、こういうめんどくさいことが起こりやすいです。
結局はただの自己満足
こういう経験を踏まえた結果、思いました。
カミングアウトは自己満足
相手思いやるとか、そういう気遣いの話ではないのです。
自分が隠していることに耐えられないから、話しておきたいというただの自己満足。
話したところで相手との関係性っていうのは大して変わりません。
むしろ、相手によってメリットよりもデメリットの方が大きいこともあります。
なので、カミングアウトなんて自分からするもんじゃねーなって今では思います。
世間では国際カミングアウトデーなんていう日もあったりして
カミングアウトがとても勇気ある行動のように賞賛されることがあります。
しかし、全然そんな大した話ではありません。
ただのマイノリティがマイノリティであると叫ぶだけの話です。
そこからの他人との関係性というのは、ただ純粋に自己しかないのです。
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