ブリジットの話

 

 

想像力が大事だなって話

 

 

ギルティ・ギアのブリジット

3か月前ぐらいに、「GUILTY GEAR -STRIVE-」という格闘ゲームで、ブリジットというキャラクターが追加されました。

ブリジットは大富豪の家庭に生まれ、英才教育を受けて、礼節極まるお嬢様として育てられた、男の子である。「男児の双子は、その地に禍をもたらす」という迷信が信じられているその村では、双子の弟は始末するか、里子に出す決まりになっていた。しかし、その境遇を哀れんだ両親によって、ブリジットは性別を隠され、女の子として育てられる事になった。

両親に心配をかけまいといつも明るく振舞っていたブリジットだったが、自分が幸せを主張すればするほど、両親が心を痛めている事に気が付いてしまう。根本的な解決法として、自分が男として生き、迷信をくつがえすような富を村にもたらさなくてはならない、という結論に達した。
賞金首「ディズィー」を捕まえることはできなかったものの、賞金稼ぎとしての才能が花開いたことで莫大な金銭を村へ仕送りできた。結果、村の迷信は消えたが同時に自身の目標も失ってしまう。
現在は賞金稼ぎを続けながら、やりたいことを探す旅の途中である。

https://www.guiltygear.com/ggst/jp/character/bgt/

簡単に言うと、ブリジットは「男の娘」でした(過去形)。

アップデートにより追加されたキャラクターなのですが、実装当初に大きな論争を起こしたため、一部界隈では大きな問題に。

今回は、その論争を見ていた筆者(ゲイ)が色々思った事でも書いていこうと思います。

一応、筆者のゲーム履歴を記載しておくと、ギルティ・ギアシリーズは最初のシリーズをいくつか遊んだことがある程度で、最新の「GUILTY GEAR -STRIVE-」は遊んだことはありません。

そもそもブリジット論争とは

Wikipediaを参照してもらえると、分かりやすい論点がのっているので見ていただきたい(信ぴょう性は若干うすい)

2022年8月、世界最大規模の格闘ゲーム大会「EVO 2022」で、『GUILTY GEAR -STRIVE-』にブリジットが追加実装されることが発表された。この影響でTwitterでは「Bridget」がワールドワイドでトレンド1位を獲得し[7][8]、Steamにおけるゲームの売り上げも1位となり[9]、平均約1,600人だったプレイヤー数は10,000人を超えた[8]

ところがブリジットの台詞に「お嬢ちゃんでいいですよ。ウチは、女の子ですから!」というものがあり、トランスジェンダーのカミングアウトと受け取られたことで騒動が発生した[10]。欧米では女性であるブリジットが「Trap」のような差別的呼称(トランスフォビア)から解放されたというような論調で取り上げられ[11]、一方で一部のユーザーはこれに批判的な態度であったため、Kotakuなどのメディアは「設定の変更」を拒絶する彼らに対する批判を展開した[10]

At a time when the U.S. government is penning legislation aimed at attacking the queer experience, getting representation in media—especially in games—should be seen as a boon. It reassures folks in our community that it’s OK to be who you are, and how you identify is both accepted and loved.— Kotaku[10]

アーク社は当初はプレイヤーの解釈に任せるというスタンスだったが、ブリジットの性自認はどちらなのか、多くの問い合わせがアーク社に寄せられる事態となった。また、話題だけが先行し、ゲームを買って遊んでいない層の議論が活発になり、アーク社が出すメッセージとは異なる方向で捉えられることが増え、なりすましも出る事態となった。それらを終息させるため、9月、シリーズ統監督の石渡太輔は「アーケードモードのブリジットストーリーを経て、ブリジットは自分を女性と自認するようになりました」と明言し、ブリジットはアーケードモードのストーリーで自分自身と向き合い、勇気を振るった決断をしたのだと解説した。ブリジットの代名詞はいまや「彼女」であるとしている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%88_(GUILTY_GEAR)

簡単にまとめると、シリーズ当初ブリジットは性自認を男の子としており、女装をしている男の子だった(つまり「男の娘」)

しかし、今回のシリーズの登場により、性自認を女の子だとしているセリフがあり、ユーザ間で論争が起きたため、発売元が「ブリジットは女の子である」と明言した。

 

 

今回、なぜ少し話題になったかというと、長年ブリジットを「男の娘」だと応援していたオタク界隈が、公式の明確なトランスジェンダー発言に対し、ポリコレ的な思想により叩いているものだと推測されました。

当時のTwitterでは

「ブリジットは欧米のポリコレ圧力に屈した」

「LGBTQ+の枠組みに押し込められた」

「海外を意識しすぎてつまらなくなった」

などの意見を自分が観測している範囲でよく目にした記憶があります。

いわゆる昨今のポリコレ、ジェンダーに対して配慮しすぎた結果

当初の設定から変更を余儀なくされてしまったのではないか?

という憶測があったのでしょう。

海外で男の娘というジャンルは一般認知はされてない?ようですので。

アンチポリコレほどではありませんが、筆者も最近の映画やゲームにおいての様々な人種やジェンダーに対する配慮というのは若干いきすぎているような気もしていまして、男の娘というジャンルを応援していたオタクの意見も分からなくもないです。

 

しかし、今回のブリジットについては、どっちの意見にも理解がありまして、難しい問題だなと感じました。

公式から明言する必要があったのか?

この論争で一番思ったのは、公式からの見解を出す必要はあったのかなー?という点です。

当初、プレイヤーの解釈に任せるというスタンスだったアーク社が、問い合わせにより見解を発表したという話がありますが

ここで最初のスタンスから一貫して、プレイヤーの想像力に任せるで良かったのではないかと思うのです。

もちろん、ストーリがー進んでいくうえでブリジットの性自認が変化していった結果、トランスだったという話は分かりますが、アークの「プレイヤーの解釈に任せる」というのが、一番の本音なのではないかと。

まさしく日本的な曖昧さの影に隠れる、というのでしょうか。

聞くのは野暮であるという計らいがあったからこそ、ブリジットはいままで魅力的なキャラクターとして存在し続けていたのではないかと思うのです。

いわゆるユーザの間で、二次創作や妄想を膨らませる余裕をあえて作り、そこを楽しむということができたのです。

しかし、アーク社は「ブリジットは女の子である(She/her)である」と明言して、彼女がトランスだと明確にしたわけです。

つまり、このキャラクターはこういう存在なんですよ、と楔を打ったわけですね。

長年、思ってきたキャラクターの設定が変更されたことにより、一部界隈では猛反発が起こったと推察されます。

 

 

ですが個人的な見解として、このジェンダーを明確にするという行為全般に関して、僕はかなり懐疑的です。

今まで、自分のジェンダーに関して悩んできた経験からすると、自分の性自認ってそんな簡単に決められるものじゃないんですよね。

ホルモンバランスとか、その時の環境で大分変りますし、時間が経過することで前とは違った気づきもあります。

どこかの枠組みに当てはめるという行為は、分かりやすくするうえでとても便利なのですが、それが本当にそうなのかという問いは、いつまでも自分につきまとう悩みだと思うのです。

 

 

なので、アークがユーザの問い合わせにより明言したことは、かなり時期尚早だったのではないかと。

当初は、アーク社もブリジットに関しては曖昧なまま進めたかったんじゃないかと思うのです。

おそらくブリジットが「男の娘」というジャンルで人気を博していたことは、認知しているはずですし、海外では認知されづらいものだということも気づいていたはずです。

日本的な価値観が理解されづらいとしても、最初からのスタンスを一貫して欲しかったなーと個人的には思います。

LGBTQ+でおさまる安心感

しかし、一方でこのトランスという枠組みに当てはめたということで、世間のトランスに対して勇気を与えたというのは自分もかなり理解ができます。

昔と比べて、今では様々な人が自分のジェンダーを公表することは珍しくありません。

ノンバイナリーや、ゲイ、レズ、といった有名人の方が公表することはマイノリティにとって勇気づけられるものです。

また、こういう枠組みがあるということを知ることは、よく分からない自分の存在を理解するうえでかなりの助けにもなります。

ゲイなのかわからなかった筆者も、いったん「Q(クエスチョニング):自分の性自認、性的志向を決めない」に置くことで、安心していた時期もありますし、自分と同じ属性の人がいるということは生きていくうえでとても大事だと思うのです。

なので、トランスを明言したブリジットに関しても、男の娘というジャンルから変化していったことは、至極当然でもあるし、自然なことだと。

ジェンダーが流動的な概念であるということを認知できたのは良かったんじゃないかと思うのです。

結局、諸行無常ってことよ

色々、ぐだぐだ書きましたが、つまりは鴨長明の方上記でも読んでください。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし

方上記

ブリジットのトランス発言は、いままでの「男の娘」設定を推していたファンからすると、とても残念なものですが、公式から明言されてる以上覆ることはありません。

しかし、ジェンダーの認識が自分のなかで変わっていくものだと、公式から発言されたことは意味があるものだと思いますし、またこれからブリジットが「本当はやっぱ男でした」なんてこともあるやもしれません。

最初の設定から改変することを許さない、いわゆる原理主義者やポリコレに対する配慮とかを考えている人には許しがたいかもしれませんが、こうやって色んなことが変わっていくというのは、仕方ないものだなと思うのです。

流石、方上記。

なので、今回のブリジット論争で思ったのは

 

 

「可愛ければ何でもよくね?」

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